手が落ちる南矢名の片手薬師
どんな伝承か
武田信玄が小田原の北条氏を攻めたとき、南矢名の東光寺の薬師堂も焼け落ちたが、薬師如来だけは焼けずに残った。信玄がその像を甲斐へ持ち帰ると、国は大飢饉に見舞われ、疫病が広がるなど災難が続いた。さらに薬師堂の裏に祀られていた諏訪明神が信玄の夢枕に立ち、像を元へ返すようにと告げたという。そこで薬師如来は東光寺へ戻され、以前と同じ堂を建てて手厚く供養された。ところが秦野へ帰ってしばらくすると、像の右手が腕の先からぼとりと落ちた。直してもまた落ちる。その手が落ちた日が信玄の亡くなった日だったことから、この像は片手薬師、浮手の薬師と呼ばれるようになった。落ちた片手のほうは甲州で片手薬師として祀られているという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
秦野市史 別巻 民俗編――伝説・妖怪(秦野市(編)・秦野市史・自治体史(民俗))
『秦野市史 別巻 民俗編』所収の妖怪・伝説(一〇〇話を七分類で収載)。神奈川県秦野市に伝わる口承を採録する。