連判状を書いた硯石と北爪姓の由来
どんな伝承か
この地方の北爪という姓は、ここ鼻毛石の北爪家がもとだといわれる。吉井侯が北陸征伐に向かったのは夏の日照りの頃で、一行はここの神社で休んでいた。地元の人が家来に加えてほしいと頼み、連判状を書くことになったが水がない。見ると境内の岩に水がたまっていたので、それで墨をすって連判状をしたため、家来として北陸へ上った。以来この岩は硯石と呼ばれる。征伐から戻った一行が皇居へ参ると、門番を願い出た者は北の門の番を命じられたので北詰と名のり、苗字を授かったという。紋はぶっちがいの弓矢の下に十六菊だったが、陛下の紋と弓矢の違いしかないのは畏れ多いとして、八重菊に改めたと伝わる。
原典より
その水で墨をすって連判状を書いて、吉井侯の家来になって、北陸へのぼった。—— 宮城村の民俗――伝説・口頭伝承(群馬県民俗調査報告書 第23集・群馬県民俗調査報告書) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
宮城村の民俗――伝説・口頭伝承(群馬県民俗調査報告書 第23集・群馬県民俗調査報告書)
『宮城村の民俗――伝説・口頭伝承』は、群馬県民俗調査報告書の第二十三集として宮城村の民俗をまとめた報告のうち、「口頭伝承」の章の「はじめに」と伝説・昔話の部分を収めたものである。赤城の麓の柏倉・三夜沢・鼻毛石・苗ヶ島・大前田などで聞いた話を、語り口を残した聞き書きと短くまとめた条とで記し、採集地を括弧で添える。俵藤太のムカデ退治や小沼の主となった赤堀道元の娘、地名や石の由来の伝説に続き、食わず女房や馬鹿婿などの昔話を並べる。