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梨の木(梨の木御殿)

所在地埼玉県狭山市入間川(入間河原)
年代鎌倉時代
登場狭山市史』中世資料編
出典狭山市史 民俗編
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どんな伝承か

清水冠者義高が入間河原で誅殺された後、北条政子が娘大姫の悲しみを思い、義高供養のため奥州道近くに「梨の木御殿」を建てたといわれ、「梨の木」の地名が残る。

原典より

昔、清水冠者義高が源頼朝のため、入間河原で誅殺されたが、北条政子が娘の大姫の悲しみを思い、義高の供養のために奥州道の近くに「梨の木御殿」を建てたといわれる。—— 狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当)・昭和(昭和五十年代調査・刊行。本文に昭和五十三〜五十四年の採集記載)) より引用
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出典の文献について

狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当)・昭和(昭和五十年代調査・刊行。本文に昭和五十三〜五十四年の採集記載))

『狭山市史 民俗編』のうち「五 伝説・昔話・世間話」を収録した一次資料。昭和五十年代に堀兼・入間・奥富・柏原・水富・入間川の各地区で座談会・聞き取り調査を行い、明治〜大正生まれの古老から採集した口承文芸を、見出しごとに原文に近い形で記録する。

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