神岡が亀岡に転じた地名の由来
どんな伝承か
亀岡の村は慶長より前には文珠寺村と呼ばれていたという。名高い文珠堂があったからだろう。安元年間には山木釗官景隆が館を構え、その館は俗に冬館と呼ばれた。徳治三年からは長井氏の一族神岡左衛門茂広が入り、広経・広清・広国と四代にわたってこの地にいたが、天授六年七月二十五日、伊達宗遠に滅ぼされてしまう。長く続いた神岡氏の姓カミオカがカメオカに転じ、文珠寺村という村名も改められて亀岡村になったと伝えられている。
原典より
亀岡の村落は、慶長以前は「文珠寺村」と云ったそうです。—— 高畠町伝説集(昭和三十二年(1957)刊/高島高校文芸班編) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高畠町伝説集(昭和三十二年(1957)刊/高島高校文芸班編)
山形県東置賜郡高畠町(屋代・亀岡・和田・二井宿・糠野目・高安・露藤ほか各地区。一部は隣接の米沢市・南陽市宮内・長井市)に伝わる伝説を、神仏/人物/怪異/動物/什物/地物/地名/地誌 の八篇に分類して集成する。屋代神社の鬼女縁起、犬の宮・猫の宮、安久津八幡、狐狸むじなの化かし、天狗・怪物・沼の怪、青葉の笛や応挙の幽霊画、伊達・上杉の城館跡や古戦場、地名由来など、高畠の地に根ざした怪異・霊験・由来譚を地区つきで網羅する。