湖だったころの山舟生と越戸
どんな伝承か
梁川の一帯には、信達平野がむかし一面の湖だったという言い伝えが根強く残る。たたえられた水は山舟生のあたりまで届き、あふれた先が越河になったという。山舟生の越戸という地名は、両側の山のあいだに戸板を渡して人が越えたことに由来すると語られる。山と山の隙間を舟が行き来したから山舟生と呼ぶのだ、という説明も添えられている。八幡太郎義家が奥州へ下ってきた時分にも、この地はまだ湖のままだったと伝える人もいた。湖の水はやがて跳岩のあたりが切れて引き、平野になったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
梁川町史12(民俗編2 口伝え)――伝説(梁川町(編)/遠藤庄治・梁川町史・自治体史(民俗))
『梁川町史12(民俗編2 口伝え)』所収の伝説(遠藤庄治)。福島県伊達市梁川町に伝わる伝説を、特に川と水の伝説を中心に考察・採録する。